秩父札所巡り






第一日目:四萬部寺(1番)から語歌堂(5番)へ(2004/6/29)


第一番 
誦経山 四萬部寺



友人と二人で秩父札所めぐりをすることにした。 準備不足のためにバスに乗り遅れ、出発地の黒谷駅についたのは11時頃。 アスファルトの道をトラックと一緒に歩き出した。
しばらく行くと小高い丘の上に和銅遺跡という標識が見えた。日本で初めて自然銅が採掘されたあとだという。 秩父の銅が朝廷に献上され第41代元明天皇のとき元号を和銅と改め和銅開珎が鋳造されたと歴史の授業で習った。 瑞岩寺入り口バス停から左に折れた。道の要所には道標があって私たちを案内してくれる。
巡礼道しるべに沿ってしばらく行くと1番四萬部寺に着いた。 初めてのことでどうしたらよいのか聞こうと、 そばの店で声をかけたがちょうどお昼時のためかなかなか人が出てこない。 しばらくお寺の境内を見て歩いた後、やっと納経帳を手に入れ、参拝したしるしを記帳していただいた。



第二番
大棚山 真幅寺



お昼を食べようと探したのですが看板はあるのにお蕎麦屋さんが見つかりません。 仕方がないので2番真福寺に向けて歩き始めました。だんだん上り坂になってゆきます。さらに急な山道になり、 とうとう道端に足を投げ出して座り込んでしばらく休憩。うぐいすの鳴き声や、時折吹く冷たい風、 「ガンバレ」とか「モウスグ」の言葉の添えられた道案内に励まされてやっと真福寺にたどりつきました。
ほっと一息入れて見上げた建物のひさしの梁に探していた父の千社札を見つけました。 今回の秩父札所巡りの目標の一つが父が30年以上も前にお参りのしるしに張った千社札を探すことでした。 急に雲行きが怪しくなり、空が暗くなり雷がごろごろ鳴り出し雨も降り出した。
観音堂の階段に座りしばらく雨宿り。 友人は「この雨はお父さんの嬉し涙よ」という。私もそんな気がしてきた。



第三番
岩本山 常泉寺



2番札所の納経所である光明寺を出てからは民家や田んぼを見ながらのんびり歩く。常泉寺の観音堂は丘の中腹にあった。 境内のあちこちには白、ピンク、青、紫の花をちりばめた紫陽花が植えてあった。
大きな木の下のベンチに土地のお年寄りが座っていらしたのでお話を聞く。 「二番札所から歩いて来た」と言ったら、「あそこは登っていくのが大変で私はまだ一度も行ったことがない。あんたたちは丈夫だね。 よく行って来たね。」とほめられてしまった。 紫陽花の咲く時期にはここでお弁当を持ってきて花見をするとか。
庭のあちらこちらに前掛けをかけた小さな石やお地蔵さんがあった。 「子持ち石」が寺宝で子宝に恵まれない人が前掛けや袈裟を奉納して願をかけると言う。 お蕎麦屋さんはないかと聞いたら、今日はお休みとのこと。お腹がペコペコ。 水を飲んだりおつまみを食べたりでお腹をごまかす。



第四番
高谷山 金昌寺




子育て観音

子育て観音


道しるべにしたがって難なく金昌寺についた。山門には大きな草鞋がかけられていた。 山門の両側の大きな仁王のために奉納されたものらしい。
ここでも本堂の赤い板壁に張られた父の千社札がありました。
金昌寺の境内にたくさんの石仏があった。 その形態は羅漢、観音、地蔵、不動、十三仏などさまざまでおよそ1300余りあるそうだ。 観音堂外陣に安置された子育て観音は、赤ん坊に乳房を与えている若い母親の像でほのぼのと暖かい感じがした。 石仏に囲まれた紫陽花の色が鮮やかで、濃いピンクがひときわ目立っていた。 境内にあったお蕎麦屋さんでやっと遅い昼食にありついた。一緒に出されたジャガイモがすきっ腹においしかった。



金昌寺石仏群

金昌寺石仏群



第5番 
小川山 語歌堂



語歌堂はあいにく修理中。本堂は緑色の囲いがしてあった。5時を過ぎてバスはもうなくなってしまったので、横瀬駅まで30分ほど歩いた。 1番から5番まですべてを一日中かけて歩きとおして満足。



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