チェコ・スロヴァキア・ハンガリー旅行

(2006/6/12〜21)


第5日目・チェスキークロムロフからブラチスラバへ







ザハリーシュ広場のパステルカラーの町並み

テルチ・ザハリアーシュ広場のパステルカラーの町並み






途中テルチによりました。

テルチは池に囲まれた小さな美しい町でした。入り口のそばの聖霊教会の尖塔からはテルチの町が 一望できるという事でしたが私たちがついたら丁度門が閉められてしまいました。広場に出たら、 車が連なってやってきました。中の一台にはボンネットに大きな花束が飾られていました。 これから結婚式が始まろるようでした。
テルチの町は1530年の大火災で焼けてしまい再建するにあたって当時の市長の命令で広場の周りの建物はすべて ルネッサンスか初期バロック様式で建てることになったために、今もザハリアーシュ広場にはパステルカラーの可愛らしい 建物が立ち並んでいる。





テルチの町を散策して昼食を食べてからプラスチラバへ200km余りのバスでの移動です。 時々渋滞もしましたが無事国境を越えて、スロヴァキアへ入国しました。 ホテルは大統領官邸(右の旗が立っている建物)のまん前にありました。







第6日目・プラチスラバ(スロヴァキア)―ブタペスト(ハンガリー)






プラチスラバ城と旧市街の街並み

プラチスラバ城と旧市街の街並み






プラチスラバ城

プラチスラバ城はドナウ川のほとりの小高い丘の上に1431年王宮と要塞をかねて建てられた。四隅に塔がある四角いお城で ハプスブルク家の女帝、マリア・テレジアが住んでいた事もあるという。
1811年火事で炎上した後、1953年に再建が始まり、当時の名残が(下・左)の窓に残されている。 お城の下のドナウ川の向こうには(上・右)オーストリアが見えるほどの距離である。




プラチスラバの旧市街


旧市街に下りる途中の広場ではクラシックカーを並べて自慢会でもしていたのでしょうか。 上中央の画像は13世紀の城壁の名残のミハエル門です。


1993年にチェコから分離独立したスロヴァキアの首都プラチスラバの旧市街はまるで博物館のように 中世の面影をあちらこちらで見つけることが出来る。 窓から人形が時計を持って覗いていたり、いろいろな種類の窓のある建物や、モーツアルトが9歳の時演奏した家とか、 リストが15歳で演奏した家なども残っていた。
マンホールから見つめている人や建物の影から覗くパパラッチ、ベンチにもたてれて広場を見ているナポレオンの 像などを探しながらの楽しい旧市街の散策でした。





午後は再びバスで国境(左)を越えハンガリーに入国。国境を越えてすぐに両替をすることに、 そばの窓口で両替をしていたら、向こう側の窓口で人がオイデオイデをしていました。 どうやらそちらで両替した人のほうが得をしたようでした。






広場で民族舞踊


ホテルについて一休みしてから、街に出かけてみました。賑やかな週末のヴァ―ツイ通りを歩いていくと なにやら音楽が聞こえてきました。ヴェレシュマルティ広場には大勢の見物人が集まって、綺麗な民族衣装の男女が 楽しそうに踊っていました。




ライトアップされた鎖橋

ライトアップされた鎖橋






ホテルでの夕食後、外はまだ明るかったが花火が上がるというのでドナウ川沿いの道を鎖橋に向った。 刺繍のテーブルクロスなどを売る女の人が観光客に声をかける。鎖橋の近くの広場では クッキーやキャンデーなどを並べた屋台がたくさん並んでいる。しばらく待っているとライトが消されて ドナウ川の上に花火があがり始めた。





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